昭和の住宅は寒かった

住環境・健康
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昭和の住宅は寒かった

私たちの世代は20歳になるまでは昭和の時代だった。
すでに高度経済成長を終えているので、ひどく物不足で貧乏な時代ではないが、
住空間は現代まともな家と比べたら、圧倒的に寒い家で暮らしていた。

居間には石油ストーブが置かれ、

加湿器代わりなのかヤカンがかけられ湯気が出ている。
さらに、こたつが置かれ、家族それぞれが足を埋め、

背中が寒いので一般的に「どてら」と呼ばれている

ハッピに綿がたっぷり入った冬用の防寒具を着込んでいる。

廊下は外と同じくらい冷えているので、移動にはスリッパが欠かせない。
水回りが一番寒く、トイレに行くのもおっくうになる。

冬に老人が死ぬのは当たり前なこと

お風呂と脱衣所が寒いのは、まさに殺人的で、

「xxxさんちのおじいちゃんチュウキ(脳卒中)になって死んでしまったてさ」

という話をよく聞いた。
当時はヒートショックに対する認識は低く、

年寄りになると突発性の病気にかかって死ぬものだと、

家の中の温度差を問題視してはいなかった。

寝室に氷が張る?!

寝室に寝る前に部屋を暖房で温めるということもせず、

寝る時も息が白くなる位の寒い寝室に

高密度に綿が入ったかなり重い布団をかけて眠りにつく。

布団が重いのと、体の形になじまないので首回りが寒くなる。

私の高校時代の部屋はしたが物置になっていたため非常に寒かった。

朝起きたら部屋の中に置いていた雑巾が硬くて凍って

硬くなっていたということも記憶にある

昭和60年代ころには布団乾燥機が現れて非常に快適だなとみんな喜んだ。

暖房の主役は石油ストーブ

(@ iammai0424様のインスタより転載)

当時は石油ファンヒーターもなかったために石油ストーブが暖房の主役であった。

ストーブの最前列が奪い合いで、どてらを背に向けてこたつに入ってテレビを見る。

厚いどてらのせいで背中が焦げているのが分からず、焦げ臭さで気づいて騒ぎになったりしていた。

毎日石油タンクを灯油タンクを補充するために外まで出かけて必要がある。

それが当たり前だったし、

みんなが同じような暮らしをしていたから疑問も持っていなかった。

それと比べて、近頃の新しい家に住む人の暮らしは別次元にまで改善されている。

わずか30年前と今とではまるで別の国のようであります。

 

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