よい住宅が 建たない理由
住宅建築は、作り手の意識のレベルでしか出来上がらない。
どんなによい計画であっても、施主に見る目がなければその良し悪しは理解できず、味噌糞一緒で日の目を見ないこともあろう。
往々にして、数多くの住宅を供給しようとする陣営は、俗っぽくうけるところにフォーカスを当てて売り込んでくるから、意識レベルの低い人ほど安っぽい思想の住宅に心が動くようになっている。
「悪貨は良貨を駆逐する」 という経済法則がありまして、
だめなものほど流通しやすいことが、社会には真理として備わっている。
住宅にもその経済法則が適応されてしまうのか、新興団地の街並を見ると、そう思わざるを得ない。
何がやりたいのかわからない、なんちゃってモダン住宅とローコスト企画住宅のオンパレードだ。
ともあれ、家づくりは施主の意識次第なわけです。
今まで何千という様々なお客様と相対していると、意識の低い方の口から出てくる言葉に、かなり共通的なものがあるんだなと気付いた。
「住宅は人生で最大の買い物だから失敗はできない。」
実によく聞くフレーズではあるが、私的に気に食わないことが2つある。
「住宅は買い物」ということがまずもってNGワードだ。
買い物だと思っているから、損したくない、自分だけは得したい、という
人間のいやらしい思想が主導権をとっている。
だから、施主は買い手。施工店は売り手であって、両者は利害関係・敵対関係にある。という考え方になってしまう。
同義として「住宅は商品」であって、とてもHM的な思想と兄弟でもある。
商品というからには、住宅は売り物という考え方が背景にあるからだ。
気持ちはわからんでもないが、その買い物感覚の家づくりでいいものができるわけが無い。
住宅というのは、買い物ではなくてつくるもの。ではないですか??
それも、鳥が自分の巣をつくるように、暮らすためにつくるものではないでしょうか?
でも自分では作れないから、作れる人に託すことが家づくり。
ある意味、一蓮托生で、作り手とは運命共同体。
敵対関係ではないわけです。
そうした、あたり前なことを否定する、「住宅は買い物」という言葉はNGなんです。
そして、「失敗はできない」というフレーズも気に食わない。
大体において、むしろ自分で何がしたいのかわからない人ほど、漠然と失敗を恐れる。何を成し得たら成功で、どうなったら失敗なのか?
「失敗したくない」という言葉を口にする人ほど答えを持ってはいない様に思います。
失敗したとか成功したとかは、建物がどうこうよりも、精神の内面的な問題に属することが多いのではないか。
同様に、「どんな細かなところでも完璧にしたいのです。」の類のセリフを言う人もいらっしゃるが、住宅というスケールの事柄を、虫眼鏡のレベルで測ろうとする心。
完璧主義者の設計者の心構えならあってもよいことと思うが、
住民の心構えとしては、このような不寛容な心は、「敗北感」や「被害者意識」として終わるのが関の山で、満足いく結果となることは万に一もなかろうとぞ思う。