7.13水害の家屋浸水被害を忘れない
忘れもしない2004年 7月13日
三条市を中心とした集中豪雨で大きな被害が出ました。
そこで何が起こって、何を考えたのか。
当時のレポートは、かつてブログ記事にしているのでリンク張っておきます。
今回は、当時の私のお客様の被害にあった建物がどのような被害に遭い、どのようにして復旧したのかをお話します。
五十嵐川が決壊した。
集中豪雨により、五十嵐川では、上流の笠堀ダム観測所で昭和40年の観測開始以降最大となる474mm(24時間雨量)を記録しました。
五十嵐川の堤防は増水を防ぎきれず、曲渕地区で決壊します。
ハウスメーカー時代の私が担当したお客さまの住宅は、この写真の矢印のところに建っていました。
決壊場所からわずか数百メートル。 勢いのある濁流が襲い掛かりました。
お引渡ししてわずか半年後の災害でした。
水が引いて現場に近寄ることができた時の写真。
もう駄目だなと最初は思いました。なぜならお隣の建物が洪水で浮き上がり、土留め擁壁の上まで移動して傾いていたからです。
私のお客様の家はその隣の奥の家でした。
(上の写真:お隣さんの家)
(担当物件の様子)
こちらもひどい有様で、ほんの数百メートル先が決壊現場だったので水流が強く、宅地地盤が水に流されました。 地盤改良杭の上に浮かんでいる状況で、1メートルほど土が無いのです。
のちほど建物がどの程度傾斜したのかレベルを測定してみると、まったく傾いていないということが分かりました。
地盤改良工事の重要性が、本来の目的ではない、こんな場面で知ることになるとは思いも知りません。 一方で、隣家は地盤改良工事を怠っていたので流されたわけです。
建物の床下の写真です。
当時のこの建物は、グラスウールでの床断熱で、見ての通り水を吸ってだれ下がってます。
壁の中も同様。たっぷり泥水を吸い込んでいました。
家屋の復旧手順は以下のように進めました。
水害後の住宅の改修方法
① 地盤復旧:建物直下に改良剤を含む土を流し込み安定させる。
② 解体工事:構造と外壁以外を残して、1階部分をスケルトンにする。
壁の断熱材が水を吸っているので取る必要があると考えました。
また、当時のこの建物は仕上げや建具類が新建材なので、合板やMDF類が水を吸って膨張し使い物にならなくなりました。キッチンもしかりで膨張し、背板の裏に泥が入り込み、入れ替えました。
*無垢の框戸のお客さまのケースでは入れ替えることなくそのまま使うことが可能でした。
それと ユニットバスは 洗浄後そのまま使えました。
③ それ以降は新築と同じ手順で作り直す。
水害の家屋復旧にどれくらいのお金がかかるか?
30坪少々の総2階の家ですが600万円程度の費用で復旧できたと記憶します。お客様の加入していた火災保険のおかげで、追加の経済的な負担が無く、生活再建できました。
当時勤めていた会社は、人道的な救援ということで、管理費無しの実費請求だけで修理の対応をしたからこれで収まったのです。一般の(大手ハウスメーカー)は、当然のことだとは思いますが利益を載せて工事代金を請求したので同規模の住宅で1000万円ほどの請求があったと聞きました。
そして 復旧工事期間は不便な仮住まい。
このように三条市を中心に 多くの方々が大変なご苦労をなさったわけです。
あれから月日は流れましたが、忘れることはできません。
余談:
木質系接着工法のプレハブのケースは、木造のように骨組みにするわけにはいかず大変であったようです。半年ほど修理は行われず集団説明会が複数行われて時間のみが経過し、結局、外壁側からパネルに3つの丸い穴をあけて中を乾かすという対応をしていました。
抜本的に直しようがなかったのでしょう。夏に蒸れて合板性能がどうなったのか、カビは後程生じなかったのかなど疑問は残りますが、10年経った今でもほとんどの方が住み続けているから杞憂かもしれません。