住宅は安ければいいという意見
住宅営業マン・銀行の窓口・そしてFPや相談カウンターの相談員など、
実に様々な相談する相手がいるわけですが、
住宅とお金に関する価値観は それぞれ異なります。
「住宅の取得費用を下げることによって生活のゆとりが出る。」
すなわち、家計における住宅関連費用を下げることが、
重要だと思っている相談員もいると思います。
率直なところ、かつて20代の頃、
私もそのように思っていた時がありました。
「生活や人生のゆとりを奪っているのは、日本の住宅が高いからだ。」
住宅の費用を減らすことができれば、その分だけ旅行や
日々の生活に使えるお金が増えるし、
子供の教育にもお金がかけられる。
「ゆとりのある生活のために、住宅にお金をかけすぎるべきではない。」
という考え方です。
今でもローコスト住宅の基本的な価値観であって、
「家賃と同じ位の費用負担で建築が可能」という
お決まりのフレーズがよくつかわれたりします。
住宅の建築費は安ければいいのか?
でははたして「住宅は安いほうがいい」という考えはが正しい価値観なのか?
2つの観点から考えたいところです。
1つ目は、
住宅の値段が安い事(初期費用)と、
一生涯の住宅関連のコストとは違うとことです。
初期費用と維持管理コストも含めたコストとは全く異なると言うことです。
質を伴わない住宅のせいで、「安物買いの銭失い」の負の連鎖となり、
ストックとなるべきなのに、消耗品として、いつまでも日本は
ヨーロッパのようにゆとりが生まれてきていない。
それを新建新聞社の三浦社長は、「住宅貧乏」と呼ぶが、
まさにその通りでだと思います。
2つ目は、
住宅の価値は、金銭面で表せない価値を多く内包しているということ。
それを非経済的価値(NON ECONOMICAL VALUE)といいますが、
住宅の価値をお金の安い高いで測ろうとするから失敗する。
住宅はお金で表せない価値のほうが重要です
街から見れば、景観を形作る要素であるし、
長く住めば、住む人は愛着を持つし、
さらに代々と長く住み続ければ、文化財にもなりうる。
ほとんどの人は、そこまでのことを考えてないでしょうが、
豪邸ばかりが景観をつくるわけでなく、
大なり小なり、住宅は街並みの構成要素になっている。
こうした社会的な価値が備わっている。
ぐっすり眠れる家は、疲れを取る。
運送屋のドライバーは事故率が下がるし、
サラリーマンは昼間生産性が上がる。
ストレスな無ければ血圧も下がる。
特に家じゅうの温度変化が無い家は、
健康ランクが上がり、健康寿命が長くなることは
大規模な調査により証明されたことだ。
住む人の健康的な価値や快適さの違いは、
お金では計測が困難である。
老人の医療費削減されれば、
勤労者世代の社会保障料の負担も減る。
まして、人生は100年の時代と言われてきており、
65歳でリタイアしたとすれば、長いセカンドライフのステージとなる。
この切り口は、国の社会保障費用軽減の価値である。
今列挙したことは、ぜんぶ 家計とは別の便益である。
お金に表せない価値のほうが重要なのです。
「住宅は安いに越したことのない」と、
唱えるパラダイム(価値観)は、人生の質を肯定していない
低いパラダイムに思えます。
本当に正しい価値観はその逆です。
「可能なだけ本質的に良い住環境を」手に入れることが豊かな人生につながります。
「可能なだけ」というのは、身分不相応に高い住宅がいいという意味でもないし、
さらには、住宅の費用の高い安いではなく、
「本質的にいいかどうか」を問う設問です。
住宅計画を進める際に、
いろいろな意見を聞くこともあるかと思いますが、
安っぽいパラダイムの影響をうけないよう、
今回のお話しを思い出してもらいたいです。