父・母・三人娘、協働のDIY
築27年、45坪の家のリノベーションです。ただいま家族5人、総出で左官DIYをやっております。1階と2階(2階の一部を除く)の壁・天井を珪藻土で塗ります。左官DIYの漆喰塗りでは比較的簡便なローラーを使って塗ることもありますが、今回はコテだけを使います。左官仕上げをしたという感じがよりいっそう出るかなぁと。これほど塗る面積も多く、壁にくわえて余程に困難な天井も。しかも生まれて初めて持つコテを使ってとなると難易度が高まりますが、この夏休み、お父さん主導で、華のあるにぎやかなチャレンジをしております。
なにはともあれ、最初にマスキング、養生です。
材料をいい塩梅に調合し、ハンドミキサーで練ります。
みなさん生まれて初めての壁塗り。工事監督の波さんが、現場の残材でコテ板つくってくれました。
父と長女。最初の壁面では、慣らし運転。
吹抜け部。二階の天井よりさらに高いところ。
吹抜けの一番高いところ。三女、今日が初めてですか?
長女。みなさん、高いところが大好きな模様。
次女。アクシデントで塗ったところに木材が当たって傷がついたが、あきらめず塗り直した。
お父さん、壁より余ほどに難易度の高い天井、金ゴテで塗り切った。
お嬢さんがた、左官屋さんになりませんか。新潟の宝、新潟のスターになってくれません?
ローテクとハイテク
ローテクとハイテクとがあれば、左官はローテクです。ローテクだから時代遅れということでは全くなく、どちらが偉いというわけでもありません。人に身近な技術かどうかということだと思います。ローテクは人に身近な技術です。哲学者のイヴァン・イリイチさんは、道具を「産業主義的道具」と「各人の自由の範囲を拡大する道具」の二つに仕分けています。前者は高度に専門化され誰もが使えるものではない道具。後者は使い手が目的のために自分で選んで使う誰もが容易に使える道具。後者はハンマー、ノコギリ、ナイフなど、「叩く」「切る」といったシンプルな行為と結びついていて、その使用に熟練度の差こそあれ、特別な訓練を必要としないし、道具のカタチと使用が一体化しているために身体的にも理解しやすい。素人と玄人の線引きがあいまいで、アチラとコチラを越境して、行ったり来たりできるんじゃぁないかなという風に感じます。生きるために使う道具は、本来身近でシンプルにできているのかもしれません。
良質なアマチュアリズム
お金と商品を交換することが当たり前の生活のなかでは、自らなにかをつくり出す機会に巡り合うことが随分と少ないこともあり、家族が冗談言いながら自分の住まいを自分で設えている風景が、たいへんに新しく、良質に思えました。ものづくりに関してはクオリティを上げすぎなくてもいいのかもしれません。綺麗にすればするほど、「これはプロの仕事だから自分に関係ない」という目で見てしまう。当事者意識を持ってもらうには、これだったらウチでもつくれそうとか、つくり方の仕組みが見えるとか、そういう目で視られるといいのかも。つくる側とつくられる側、決める側と決められる側、サービスする側とされる側、両者がはっきりと分かれてしまうのではなく、これらが未分化の状態があると面白い。対等で時たま越境する。その一つがDIYかなと。設計した身としては、あらかじめ考えられた計画も大切ですが、他者とあらかじめセットされた決めごとをはみ出すことも大切かなと。失敗すればやり直せる寛容さや、その時々に起きることに反応する即興性が大切かなと。この一家の「これでも十分いいではないか」というメンタリティが、健全でたくましく、とても素晴らしいと思いました。